昔ながらの

最近お気に入りのプリンがある。「昔ながらのなつかしプリン」というプリンで、まるで液体のようになめらかすぎるプリンではなく、固形という感触があって、しっかり卵の味がする。いつも行くスーパーで売っているのだけど、売っている日とそうでない日があるので、見つけたら、ラッキーと思って買っている。

三浦しをんの『仏果を得ず』に出てくる兎一郎は「楽屋の食堂で、五つぐらい並べたプリンをうまそうに食べている」というぐらいのプリン好き。

内子座に現れた兎一郎を見たとき、健は目を疑った。兎一郎は小さな旅行鞄のほかに、プリンばかりが入ったレジ袋を提げていた。
「内子には、俺の好きな銘柄を置いてる店がない」
と兎一郎は言った。「去年はそれで、いまいち調子が出なかった」

たかがプリン、されどプリン。

津村記久子の『八番筋カウンシル』(朝日文庫)を読んだ。

会社を辞めて実家に戻ったタケヤス。タケヤスの地元は、昔ながらの商店街。タケヤスの家は電器店だったが、祖父が亡くなると同時に閉店した。同級生のホカリの家は生活リネンを売っていたが、こちらも今は閉店。同じく同級生のヨシズミは、タケヤス同様会社を辞めたのだが、家業の文具店を継ぐための準備をしている。タケヤスは会社を辞める前に小説の新人賞を取っていたが、それで小説家になれるというわけでもなく、ホカリの家で店を開けて在庫を売ることにするのだが、八番筋カウンシルと名乗る商店街の青年会の一癖も二癖もある面々に煩わされることになる。

ホカリというのは名字で、名前は絹枝。タケヤスもヨシズミもホカリには学生の頃から恋愛感情を抱いておらず、それはホカリも同じ様子。30歳になろうとしている今もその関係は変わらず、さっぱりとした付き合いをしている。タケヤスには会社を辞める時に別れた彼女がいたし、ヨシズミにもいるのだが、ホカリのそういう話は出てこない。そう思っていたら、次のような描写があった。

ホカリと会社の後輩は特に楽しそうにしていた。一緒に喫茶店をやりたいと言っている相手は、彼女で間違いなさそうだった。
ホカリの手が、そうっと後輩の背中から腰にかけて撫で下ろされたのを見た。タケヤスは目を伏せてそっぽを向き、缶の中に残ったビールを飲み干した。

はっきりとではなく、さらりと書いてあって、それが何だか余計にドキッとさせる。

商店街の中での人間関係がとにかく鬱陶しいし、人間のどす黒い部分が描かれているしで、うんざりした気分になるのだが、それでもじっとりとした感じはなく、どこかカラッとしているように感じられるのは、津村さんの小説だからなのだろう。

ある過去の出来事に関する真実が終盤で明らかになるのだが、いつの間にミステリを読んでいたのだろうかと思うぐらい伏線が見事に回収されていた。

読み終えて、「ああ、やっぱり津村さんの小説はいいなあ」となったので、今は積んであった『エヴリシング・フロウズ』を読んでいる。

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