あるこう あるこう わたしはげんき

20160215

どうも最近の運動不足(というか体重の増加)が気になったので、夫を散歩に誘った。二人でのんびり歩くつもりだったのに「ただダラダラ歩いたんじゃ運動にならない。太ももを上げて手を振って歩かないと」などとコーチされ、思ってたのと違うと思いながら黙々と歩く。無言で歩いていると頭の中にトトロのあの曲が流れた。歌詞と違って私は元気ではなかったけれど。帰りは春一番が向かい風となって正面から吹きつけた。一夜明けると久しぶりに長い時間歩いたせいか脚がだるくてしょうがない。どうやら私の運動不足は結構深刻のようだと思いながら今日もこたつで本を読んでいる。

村上春樹『村上春樹 雑文集』(新潮文庫)、三浦しをん『天国旅行』(新潮文庫)読了。

『村上春樹 雑文集』は「音楽について」、「翻訳すること、翻訳されること」、「小説を書くということ」の3つの章を特に興味深く読んだ。

チャンドラーの『さよなら、愛しい人』について、話の細かい筋は忘れたが、やたら腕っ節の強い巨漢ムース・マロイの姿とマーロウが単身賭博船に乗り込んでいくシーンという二つのイメージがずっと頭に焼き付いて残っていたという著者。

そういうくっきりとしたいくつかのイメージを残していけるというのは、やはり優れた小説の資格のひとつなのではあるまいかと思う。読んだときは感心しても、あるいはそれなりに感動すらしても、ある程度時間が経過したら結局なんにもイメージが残っていないという作品も、世の中には決して少なくない。

なるほど確かにそうだなと思った。私もある程度時間が経つと話の細かい筋は忘れてしまう。だけど、あるシーンはちゃんと頭の片隅に残っていたりする。ふと読み返したくなるのは大体そういう小説だ。

『天国旅行』は心中をテーマにした短編集。しをんさんの作品という先入観からか最初の「森の奥」の中年男性と青年の関係が途中から何やらあやしく思えた。『星間商事株式会社社史編纂室』で主人公が創作している同人誌の小説の内容が頭に残っていたからかもしれない。しかし、しをんさんは長編も短編もいいなあ。

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