あげたい病(『夕子ちゃんの近道』長嶋有)

150519

布団からがばりと身体を起こして窓の外をみると、点滅する青信号の光の下、瑞枝さんが四角い石油ストーブを運んでいる。半分渡りきる前に信号が変わり、車は不機嫌そうに瑞枝さんをよけて走り去った。瑞枝さんは横断歩道の真ん中でいったんストーブを置くと、ふうと息をつくようにして両手をこすりあわせた。

先日長嶋有の『夕子ちゃんの近道』を読み返した。そして、やはりこの小説が好きだとしみじみ感じた。

印象深い場面は色々あるが、その中でも瑞枝さんが主人公の僕のために深夜の横断歩道を渡って石油ストーブを運ぶ場面は特に印象に残っている。

そして、「寒いでしょう。二階の君のことを考えたら、なんかもう気が散って勉強できなくてさ」という瑞枝さんのセリフに胸がきゅうっとなった。

しかし、後に実は瑞枝さんは「あげたい病」なのだということがわかる。瑞枝さんは風呂なし(実際には風呂はあるが物置になっている)の部屋に居候している「僕」にお風呂のかきまぜ棒をあげたがったりするのだ。

そういえば、私の母も「あげたい病」だ。娘の私に色んな物を送ってくれる。昨日も母から宅配便が届いた。冷凍で届いた荷物の中身は魚の切り身、砂抜きしたしじみ、母が炊いた赤飯。それにパスタやピラフなどの冷凍食品。冷凍食品やレトルト食品を送ってくれるのは、ほとんど自炊をしなかった私の学生時代の頃の名残りなのかもしれない。帰省をすれば帰りに「少ないけどガソリン代にして」と言って、そっと封筒を渡してくれたりもするし、何も言わず私の鞄に入れてくれていたこともあった。

お風呂のかきまぜ棒はともかく、瑞枝さんが冬の深夜に灯油を入れた重い石油ストーブを運んだのは「二階の君のことを考えた」から。母が赤飯を炊いて送ってくれたのは、何か祝い事があったからではなく、私の好物だから。そう考えると「あげたい病」はありがたい病なのかもしれない。時に私の欲しくない物(固い砂糖の塊みたいな和菓子とか)をくれたとしても。

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