乗代雄介『旅する練習』旅の終わりはいつも切ない

今の家に引っ越してそろそろ4か月が経とうとしている。引っ越す前、暇さえあればグーグルマップで家の周辺を調べていたので徒歩圏内にラーメン屋が何軒かあるのは知っていた。そこで、どの店が自分好みの味なのか確かめようと最近の週末は夫とラーメン屋めぐりをしている。先週は中華そばの店に行った。駐車場がない店だし、徒歩5〜6分だから歩いて行くことにしたのだけれど、家から一歩外に出た途端に汗が噴き出すような暑さで、店に着いた時には汗だくだった。店に入れば涼めると思っていたのに換気のためなのかドアが開けっぱなしの店内はエアコンの意味があるのかわからないほど生ぬるい空気が流れていた。その店では塩ラーメンを食べようと決めていたので、迷わず注文をした。チャーシュー、たまご、メンマがしっかりと載った塩ラーメンはものすごく美味しかった。まるで何かの修行をしているかのように汗が滝のように流れたけれど。

 

乗代雄介『旅する練習』(講談社文庫)Kindle版を買った。乗代さんの小説を読むのは『本物の読書家』以来二作目。私は本を読む前に他の人のレビューを参考にすることが少なくない。『旅する練習』は小説家の叔父とサッカーをしている姪が徒歩で旅をする話だというのはあらすじで知っていて、面白そうだと思ったのだけど、いくつかのレビューに結末が残念だというような意見があるのが気になっていた。すっきりしない結末であったとしても私は構わない。ただし、読む時にそれを受け入れることができる気分でなければいけないけれど。それで、今ならどんな結末でも受け入れられそうな気分だったので、読んだ。

小説家の「私」は、中学入学を控えた姪の亜美と徒歩で鹿島を目指す。サッカーをしている亜美は合宿で訪れた鹿島の合宿所に置いてあった本をこっそり持って帰ってしまっていた。そのことを叔父であり時にはサッカーの練習相手でもある「私」に打ち明け、本を返しに行きたいと伝える。亜美の願いを叶えるため一泊旅行で鹿島に行くはずが、コロナの感染拡大防止のため小学校は休校となり計画も立ち消えになるところだったのだが、「私」は歩いて鹿島を目指すことを提案。小説家の「私」は書く練習、亜美はサッカーの練習をしながら旅をすることに決めた。

「私」と亜美のふたり旅のはずが途中で出会ったみどりという就職を控えた大学四年生の女の子も仲間に加わる。そして、楽しく和やかに川沿いの道を歩く三人の旅がしばらく続く。

亜美に出会ったことで、ある決断をしたみどりはこう言う。

「大切なことに生きるのを合わせてみるよ、私も」

 

三人の旅があとちょっと、もうちょっとだけ続いたらいいのにと思うのだけど、目的地のある旅には必ず終わりがやってくる。なるほど、こういう結末か。確かに読後感がいいとは言えない。だけど、私はこの小説をいつかまた読み返したくなると思う。

ところで、小説家の「私」が旅の途中で風景に思いをめぐらせる際、田山花袋や柳田國男の著作からの引用があるのだけど、本の中に本の話が出てくるのが好きな私にはとても興味深く面白かった。そういえば『本物の読書家』でも引用が多かったけれど、他の乗代作品もそうなのだろうか。

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