村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』思っていたのとは違っていたけれど

Netflixでフランス映画『ヴォルーズ』を観た。女性が活躍するアクション映画が観たくて、そういうのがないか探して見つけたのが、この映画だった。コメディのタグ付けがしてある通りクスッと笑える面白さあり、もちろん派手でかっこいいアクションもあって面白かったのだけど、それよりもむしろ予想外に女同士の強い結び付きがあるシスターフッド映画として楽しめた。あとイザベル・アジャーニ演じるゴッドマザーがいい感じに不気味でよかった。

 

村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』(文春文庫)Kindle版を読んだ。村上春樹のエッセイはほとんど読んでいるし、この『猫を棄てる』も気になっていたのだけど、タイトルにもあるように猫を棄てるエピソードがあるというのが何となくひっかかっていた。それで文庫化されてもすぐに読みたいとまでは思えなかった。私は子どもの頃に犬や猫、ハムスターなどを飼っていたし、マイベスト漫画はずっと変わらず『動物のお医者さん』だし、とにかく今でも動物が好きなので、フィクションではなく実際に猫を棄てたエピソードを読んで嫌悪感を抱くんじゃないかと思ったのだ。

村上さんが当時(昭和30年代初め頃)の猫を棄てるという行為について《いずれにせよ当時は、猫を棄てたりすることは、今に比べればわりに当たり前の出来事であり、とくに世間からうしろ指を差されるような行為ではなかった。猫にわざわざ避妊手術を受けさせるなんて、誰も思いつかないような時代だったから。》と断っているのは、つまりそれが今ではうしろ指差される行為であるからなのだろうし。しかし、村上少年と父親が海岸に棄てた猫がどうなったのかを知って、私はほっとした。これで心置きなく続きが読めると思った。

ただ、『猫を棄てる』は、私が(勝手に)想像していた父と息子の心温まるような話ではなかった。子どもの頃の思い出として父親と一緒に映画を観に行ったり、野球の試合を見に行ったというエピソードはある。しかし、やがて村上さんと父親の間には軋轢が生じ、疎遠になり、ほとんど絶縁状態になっていた。

 

僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちを———あるいはその残滓のようなものを———抱き続けている。

 

和解らしきことが出来たのは、父親が亡くなる少し前、村上さんは60歳近く、父親は90歳を迎えた頃だった。戦争を体験している父親の戦時中のエピソードについては、父親から直接聞いた話はほとんどなく、亡くなった後で村上さんが調べた内容になっているので、淡々としていてそこに親密さはない。そういうところが私の想像とは随分違っていた。でも、あとがきに《僕がこの文章で書きたかったことのひとつは、戦争というものが一人の人間———ごく当たり前の名もなき市民だ———の生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということだ。》とあるので、私の想像が的外れだっただけなのだけど。

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買った本

そろそろ初読みの作家の小説を読んでみたいと思って、前からちょっと気になっていた井戸川射子『ここはとても速い川』(講談社文庫)を買った。

文庫の帯にでかでかと「祝芥川賞!」とあって、控えめに『この世の喜びよ』と受賞作名があるので、『ここはとても速い川』が芥川賞受賞作だと勘違いしてしまう人ももしかしたらいるんじゃないかと要らぬ心配をしてしまった。

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