ブックストアで待ちあわせ

昔からWEB本の雑誌の「作家の読書道」を楽しみにしている。それが好きな作家のだとなお嬉しい。今月は江國香織さんだった。嬉しい。江國さんが紹介した本の中で私が読んだことがあるのはクレイグ・ライスの『スイート・ホーム殺人事件』だけだったけど。

 

 

これまで全く読む機会がなかったのだけど、ツイッターで片岡義男.comのアカウントがサイトに掲載されているエッセイを紹介しているのを見かけて、そのリンク先のエッセイを何気なく読んだら、なんだかよかった。それで、エッセイの文庫本が欲しいと思って調べてみたらほとんど絶版になっていた。まあ、だから片岡義男.comでデジタル化計画を進めているのだろうけど。

しかし、私は紙の本が好きなのだ。たとえKindleを持っていても、やっぱり紙の本がいい。そして、そんな私は古本が苦手。苦手だった。潔癖症というわけではないと思うのだけど、紙で手が切れそうなくらいピシッとした新品の本が好きで、本屋で選ぶ時は表、裏、背まで確認してより綺麗なものを選ぶようにしている。ところが、あれは何の本だったか、絶版でどうしても読みたい本があった時、どうしようか迷ったけれど初めてアマゾンのマーケットプレイスを利用した。届いた本は新品とは違って、いわゆる使用感があったけれど状態はそれほど悪くなかった。それ以降、欲しい絶版本がある時は度々マーケットプレイスを利用するようになり、古本に対して以前のように抵抗を感じなくなった。

ということで、片岡義男『ブックストアで待ちあわせ』(新潮文庫)を買った。古本で。

これは、『ブックストアで待ちあわせ』に収録されている「ぼくはなぜブローティガンをいちどにぜんぶ読まないか」というエッセイから。

 

ここまで読んできて、ぼくは、そのさきを読むのをやめた。
この正調ブローティガン節のストーリーを、いちどにぜんぶ読んでしまうなんて、ほんとうにもったいないではないか。
《1953 シェヴロレー》というこのみじかいストーリーは、きっと面白いにちがいない。きわめて幻想的でありつつ、奇妙に現実味をおびた、素晴らしい話であるにちがいない。
書き方は、例によって、見事だ。友人と、三行広告を出した老婦人との、電話でのやりとりなど、言葉で描き出された完璧な会話というものの、ひとつの非常にすぐれた見本だとぼくは思う。
《1953 シェヴロレー》のつづきを、当分のあいだぼくは読まない。

 

「文庫本のためのあとがき」に雑誌『ポパイ』の連載記事から「アメリカの本について書いたものだけを抜き出して1冊にまとめた」とあるように、紹介されているのはアメリカの本で、しかも、それはボーイ・スカウトのフィールドブックだったり、写真集だったりして、私の知らない本ばかり(ブローティガンの本も読んだことはないけれど名前は知っていた)なのだけれど、そんなことはあまり関係なく、ただ文章が心地よくて、片岡義男.comで初めて片岡義男のエッセイを読んだ時と同じようになんだかいいな、好きだなと思いながら読んだ。

買った本

片岡義男『ブックストアで待ちあわせ』(新潮文庫)を読んだ後、『ピーナツ・バターで始める朝』、『洋食屋から歩いて5分』(ともに東京書籍)を買った。これらも絶版だったため古本で。

どれも状態が良くてよかった。しかし、ネットでは本の状態を実際に確認することができないので、思っていたよりも状態が良くない本に当たることもある。最近は家の近くにいい感じの古書店があればいいのに、とまで思うようになった。

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