オードリーの春日さんが番組で10年(11年?)交際をした恋人にプロポーズをした。そして、それを隠れて聞いていた相方の若林さんが号泣していた。ものすごい号泣っぷりだった。
読書芸人である若林さんが書いたエッセイがずっと気になっていて、先日ようやく若林正恭『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』(角川文庫)を読んだ。
雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載していたエッセイをまとめたもので、私は単行本を読んでいないけれど、文庫本は単行本未収録の100ページ以上が収録された完全版らしい。
自意識過剰でとんがっていた若林さん。芸能人の豪邸訪問で高価な壺の値段を聞いて驚かなければならないことに抵抗を感じ、雑誌の撮影で虎のぬいぐるみをかぶって笑わなければならないのに虎のかぶり物を畳んだまま頭に載せて無表情で写真を撮った、などといったなかなかとんがったエピソードが語られている。
面白いのだけれど、それだけじゃない。印象に残ったエピソードのひとつが、握り潰して壁に投げつけ、ぐちゃぐちゃになったエクレアを泣きながら食べたというもの。
それは、若林さんが電気代が払えず電気を止められた時のこと。言葉を選んで若林さんを励まそうとする友人たち。しかし、若林さんが本当に欲しかった言葉をくれたのは、近所の知り合いのおばさんだった。
近所に知り合いのおばさんがいて電気が止められてお金がないことを聞きつけて家を訪ねてくれたことがある。
いろいろ近況を話すと「あんたは大丈夫よ。面白いもの」と言ってエクレアを手に握らせてくれた。
おばさんが帰った後、エクレアを左手で握り潰して壁に投げつけ、ぐちゃぐちゃになったのを泣きながら食べた。
その時、「ああ、俺は“大丈夫”って誰かに言ってほしかったんだな」ということに気付いた。
自力では抜け出せない程のネガティブな感情に嵌った時、一番初めに起動しなきゃいけないのはやっぱり心だ。
行動を起こしながら感情がついて来ることもあるだろうが、それでも一番初めのアクションは心からだ。
ぼくは、この先ネガティブな感情から抜け出せない仲間がいたら、ぼくの想像力が及ばなかろうが、経験値が及ばなかろうが、保身せず「大丈夫」だと言い張ろうとその時決心した。
本当に大丈夫かの信憑性はどうでもいい、まず大丈夫と言う。そして、言ったことにより生じる責任を、負おう。
ただ「大丈夫」と言うのではなく、言ったことにより生じる責任を負おうと決心する若林さんがかっこいい。
それから、相方の春日さんのことも書いている。
むかし事務所からも見放されファンもいない時期、相変わらず努力をする姿勢の見えない春日に変わってもらいたくて「二十八にもなってお互い風呂なしのアパートに住んで、同級生はみんな結婚してマンションに住んでいるというのに、恥ずかしくないのか?」と問いつめた。相方は沈黙した。
三日後、電話がかかってきて、春日は「どうしても幸せなんですけど、やっぱり不幸じゃないと努力ってできないんですかね?」と真剣に言ってきた。
ダメだこりゃ。と思った。金もない、親からも呆れられている、そんな状況で一体何が幸せなんだ。とぼくはさらに問い質した。ゲームが出来たり、仲間と遊べたりするのが楽しいという答えが返ってきた。
テレビに出てお金をある程度もらえれば幸福になれると信じていた若林さんには、全然ウケなくて負けまくっているのに幸せそうな春日さんが不思議だったという。
オードリーが盲学校の小学生と一緒に仕事をした時、子どもたちはみんな春日さんに集まった。相方が子どもに人気があるのは見た目にインパクトがあるからだと漠然と思っていた若林さんは、そうではないことに気付く。子供たちは、春日さんが自分に自信があり余裕があるのを感じ取り、若林さんの息苦しさも感じ取っているのではないかと。
春日は、正直本当に面白いことを言える人間じゃないと思う。でも、すごく面白い人間だと思う。それを、子どもの集まらないぼくは真横で見て楽しんでいる。自分に自信があって。特別、自己顕示するために自分を大きく見せる必要のないマトモな男だと思う。
ぼくは、とことんマトモになって幸福だと思ってみたい。できるなら、上昇しつつ。
ぼくは春日に憧れている。
オードリーって、いいコンビだな。
若林さんの他の本も文庫化されたら読みたい。
買った本
武田泰淳『新・東海道五十三次』(中公文庫)、若林正恭『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』(角川文庫)購入。
しばらくお風呂で読んでいた武田百合子の『富士日記』を読み終えて、泰淳さんが書いた本(ただし小説ではなくエッセイ)も読んでみたいと思い、百合子さんも出てくる『新・東海道五十三次』にした。それにしても最近は文庫本でも千円近くするので財布に厳しくて困る。