武田泰淳・百合子の夫婦道中記『新・東海道五十三次』

5月に冷房をつけたのは、記憶にある限り初めてのような気がする。しかし、昨日の雨のおかげで今日は5月らしくちょうどよい気温で過ごしやすい。本格的な暑さに対する覚悟がまだできていない。夏が来るのはもう少し先でいい。

 

武田泰淳『新・東海道五十三次』(中公文庫)を読んだ。

妻の武田百合子さんから見た泰淳さんについては『富士日記』、『犬が星見た ロシア旅行』を読んでいたのでなんとなくわかっているつもりだったけれど、泰淳さんの本を読むのはこれが初めて。今度は泰淳さんから見た百合子さんを知ることになったのだけど、しかし、これは『富士日記』を読んで抱いていたイメージ通りだった。豪快で、思ったことは素直に口にする、よく食べる。そして、車を運転してどこへでも行く。

百合子さんが運転免許を取った時のことがこんな風に書いてある。

 

中目黒のガスタンク下の、寺の留守番をしていたころ、毎朝はやく、女房が外出する。行先を告げずに出かけるのは、おたがいさまだったので、たずねることはしなかった。
神経質のヤキモチと思われたくないためでもあった。寺には住職も女中さんもいたから、朝食も幼児の世話も、彼女をあてにしないでよかったし、料理もろくにできないで、カツレツをつくるのに台所を粉だらけにして数時間かかっても完成しないくらいだから、居なくてもさしつかえなかった。
それにしても毎朝とは熱心すぎると、不思議には思っていた。免許証をもらうため、練習所がよいをしていたのである。

 

夫に何も言わずに教習所に通うというのがなんだかすごいし、妻が行先を告げずに毎朝出かけて行くのに何もたずねないというのもなかなか。何もたずねなかったのは「神経質のヤキモチと思われたくないためでもあった」という理由もあったからだろうけど。つまりはヤキモチを焼いていたのだろうと思うと、なんだかちょっと可愛らしい。

こうして免許を取った(しかも大型二種)百合子さんが運転する車で東海道五十三次をたどることになる。

泰淳さんの小説を読んだことがないので、小説ではどのような文体なのか知らないけれど、『新・東海道五十三次』はユーモラスで面白い。五十三次の名所や風景よりも百合子さんのことを書いた文章が特に面白い。

少年の頃の箱根の思い出に浸る泰淳さん。すると、百合子さんからこう言われる。

 

「わたしのこと、ちっとも温泉へ連れて行ってくれないね。愛していないんじゃないの。愛してるなら、連れてくはずだわ。ほかのひとは連れてったんでしょう」
と、ユリ子は不平を言う。
そう言われてみると、私はあまり彼女に温泉サービスをしたことがなかった。

 

愛してるなら温泉に連れてくはずという言い分が面白く、可愛らしい。

 

また、道中、運転手である百合子さんのご機嫌をうかがう泰淳さんがマッサージをしたりするのも微笑ましい。

 

増補新版には巻末特別エッセイとして娘の武田花さんの「うちの車と私」が収録されているのだけれど、武田家の車を運転するのは百合子さんだから、「うちの車と私」というのは、つまりほとんど百合子さんと花さんの思い出だったりする。

 

私の好きだったドライブコース。夜、父が寝てしまうと、「ハナちゃん、行こうか。何が食べたい?」車のキーと財布を手に、母が呼びに来る。

 

母娘二人の真夜中のドライブ。短いけれど素敵なエッセイだった。

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