コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』映画を観てからずっと気になっていた原作を遂に

週末はまたもやアマプラで映画三昧だった。観たのは、『ガンズ・アンド・キラーズ』、『LION/ライオン 25年目のただいま』、『バッド・デイ・ドライブ』、『ボーイズ・イン・ザ・ボート ~若者たちが託した夢』、『スクール・オブ・ロック』、『ミセス・ハリス、パリへ行く』。この中で一番よかったのは『ミセス・ハリス、パリへ行く』。ロンドンで家政婦をしているミセス・ハリスが雇い主の部屋にあったクリスチャン・ディオールの美しいドレスに魅了され、自分もディオールのドレスを買おうとパリへ行くのだけど色々あって、というストーリー。ミセス・ハリスがパリで出会う人々がいい人ばかりで、まるでファンタジーのようなのだけど、肩の力を抜いて楽しめて、観てよかったと思える、また観たくなる映画だった。

 

これでは読書日記ではなく映画日記になりそう。先日Kindleのセールで買ったコーマック・マッカーシー『ザ・ロード』(ハヤカワepi文庫)は、先に映画を観ていた。観たのはかなり前のことで、細かい部分は忘れたけれど、暗くて重くて怖くて、でも結末に絶望ではなく希望があったことは覚えていた。だからこそ原作を読んでみたいと思えた。

それで、いよいよ原作小説を読んだのだけど、記憶にある映画で観た映像よりも文章による描写は、よりおぞましく、何度もページをめくる手を止めて、ひと息いれなければならないほどだった。

『ザ・ロード』には父と幼い息子の終末世界での過酷すぎる旅が描かれている。

 

すべてが灰になった場所では焚き火ができず夜は二人が今までに経験したことがないほど長く暗く寒かった。石がひび割れを起こすほどの寒さ。命をとりかねない寒さ。彼は震える少年を抱きしめ暗黒の中でかぼそい息を一つずつ数えた。

 

訳者が、あとがきで終末ものの例のひとつとして『北斗の拳』を挙げているのだけど、私が終末世界と聞いて真っ先に思い浮かべるのが、まさに『北斗の拳』。世代ど真ん中なのだ。しかし、『北斗の拳』の世界が平和に思えるほど『ザ・ロード』の世界は悲惨を極めている。動物も植物も死に絶えた暗黒の世界に生き残った人間は、人間を襲う。食べるため、生きるために。

 

やるべきことのリストなどなかった。今日一日があるだけで幸運だった。この一時間があるだけで。”あとで”という時間はなかった。今がその”あとで”だった。胸に押し当てたいほど美しいものはすべて苦悩に起源を持つ。それは悲しみと灰から生まれる。そうなんだ、と彼は眠っている少年にささやいた。パパにはお前がいる。

 

状況はゾンビ映画のようだが、この小説には絶叫シーンの連続といった騒々しさはない。それどころか乾いた文章の中に時折ハッとするような美しさを感じてうっとりする。だけど、やっぱり怖い。読み進めることができたのは、先に映画を観て結末を知っているから。映画が原作と多少違っていたとしても、そんなに大きく変えていないはずだと信じて読み進めた。

 

パパを信じてないんだな。
信じてるよ。
そうか。
いつだって信じてるよ。
そんなことはないだろう。
ほんとだよ。信じるしかないもの。

 

この小説はセリフに「」を使っていない。だからなのか父と息子の会話は、時に詩のように感じられる。終末世界で生まれ育った少年にとって、パパが全てで、パパの言葉を「信じるしかない」。それでも少年は、そのパパに反発してでも旅の途中で出会った人を助けたい、助けてあげてと頼むのだ。少年の純真さが、『ザ・ロード』の真っ暗な世界に光をさしている。

映画を観てから何年も経ったけれど、ようやく原作を読むことができた。読んでよかった。ちなみに読んでいる間、私の頭の中で父親は映画で演じていたヴィゴ・モーテンセンだった。

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