『まほろ駅前多田便利軒』を読んだら面白すぎたので続けて『まほろ駅前狂騒曲』も読んだ

梅雨入りして雨の日が続いている。風があると雨が吹き込んでしまうので網戸にすることができなくてエアコン頼みになる。雨で外に出かける気分にもならないのでエアコンで快適になった部屋でひたすら本を読み、映画を観る。まあ、雨じゃなくても最近はほとんどそうして過ごしているのだけど。
映画は『ロスバンド』というノルウェーの映画が友情・青春・旅という私の好きな要素が詰まっていてものすごくよかった。あとは『3月のライオン』前編&後編、『恋は雨上がりのように』という漫画が原作の映画を続けて観たけれど、これもよかった。原作は未読だけれど。さらに『祈りの幕が下りる時』と『告白』も観た。こちらも原作小説は両方とも未読。『告白』は急に歌ったり踊ったりがはじまる映画だと思い込んでいて(そういうシーンもあったけどほんのちょっとだった)、観るのをためらっていたのだけど、怖面白かった。松たか子すごい。自分でもどんだけ観るんだという勢いで映画を観ている。

 

本はというと、最近はもっぱら再読(再再読、再再再読…)が多いのだけど、三浦しをんの『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫)を久しぶりに読んだら、めちゃくちゃ面白くて、その勢いで分厚い『まほろ駅前狂騒曲』(文春文庫)もこれまた久しぶりに読んだらやっぱり面白かった。

『まほろ駅前多田便利軒』は直木賞受賞作。タイトルそのまま、まほろ駅前で多田便利軒という便利屋を営んでいる多田が、高校の同級生だった行天と再会。そして行き場のない行天が事務所兼住居の多田便利軒に転がり込んで…という話。ドラマを観た後は多田=瑛太、行天=松田龍平のイメージが刷り込まれたため、以降、まほろシリーズを読む時、私の頭の中では多田と行天の姿も声もこの二人で再生されている。

 

「それからもうひとつ」
と凪子は言った。「向こう側に行かないで、と。じゃ、さよなら」
凪子の姿が雑踏のなかにまぎれるまで、その場にたたずんで見送った。やがて多田は、凪子にはもう届かないことを承知のうえで、「はい」と小さく返事した。
多田と行天は、たぶん似たような空虚を抱えている。それはいつも胸のうちにあって、二度と取り返しのつかないこと、得られなかったこと、失ったことをよみがえらせては、暴力の牙を剥こうと狙っている。だが、そちら側には行くなと凪子は言う。行ってはならないと。

 

『まほろ駅前狂騒曲』は、まほろシリーズ第3弾。第2弾の『まほろ駅前番外地』は長編ではなくスピンアウトストーリー7編を収録したもので、こちらも以前読んだのだけど、私は長編の第1弾と第3弾が好きだ。

で、『まほろ駅前狂騒曲』では多田と行天の再会から2年が経っている。「似たような空虚」を抱えていた多田と行天だったけれど、さまざまな人々と関わり合ううちに変わっていく。

 

死でさえも完全には奪い去れないなにかを、あらゆる生き物がそれぞれに抱えている。だからこそ、あらゆる生き物は生まれたらできるかぎり生きようとする。つながりあおうとする。死という残酷さに対抗するために。命はむなしく生きて死んでいくだけのものではないと証明するために。
行天。おまえも俺も、自分のなかの暗闇に沈むことには失敗したみたいだぞ。愉快な気持ちがこみあげてきて、多田は笑った。あんなに、だれともかかわりたくない、一人でいたいと願ったことがあったのに。便利屋稼業をしていたら、この町でひたすら生きていたら、いつのまにかまた、一人ではなくなっていたんだ。

 

まほろシリーズには痺れるようなかっこよさがある。さらに温かくて、軽やかで、ユーモアもある。そのバランスが私には絶妙で読んでいてとても心地いい。久しぶりに読んでよかった。きっとまたいつか読みたくなる時がくるに違いない。

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買った本

コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』(ハヤカワepi文庫)Kindle版を買った。

ヴィゴ・モーテンセン主演の映画を先に観ていて、それがすごく良かったので、いつか原作も、とずっとずーっと思っていた。ただ、映画で観るのはいいけど、暗くて重いあの世界を文章で読むことにためらいがあって、なかなか手が出せないでいた。そして、その間に文庫の表紙が変わっていた。以前は真っ黒でシンプルな表紙だったのだけど。

ちなみに『バーナード嬢曰く。』の2巻で町田さわ子が神林に「表紙が黒い本オシャレだって思ってるよね?」と指摘すると、神林がカバンの中から真っ黒な表紙の『ザ・ロード』の文庫本を取り出して、『ザ・ロード』の魅力を熱く語るというシーンがある。

今回『ザ・ロード』が今開催中のKindleのセールの対象になっていたので、この機会に購入を決めた。

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