長嶋有『三の隣は五号室』アパート小説が好き

午前中に郵便局で用を済ませ、帰りにパン屋に寄ってポテサラパンとコーンマヨパンを買った。熱い紅茶にしようと思ったけど暑かったので冷たい麦茶でパンを食べた。食べながらアマプラで映画を観た。久しぶりに韓国映画を観たい気分だったので、探したら、まず『三姉妹』というタイトルに惹かれた。予告を観るとなんだか重そう。でも、最後に角田光代さんのコメント文が画面にどーんと出て、そのなかに「不幸のてんこ盛りと言えるのに、ところどころで笑ってしまう」とあった。不幸でただただつらいだけの映画ではなさそうだったので観ることにした。三姉妹はそれぞれに不幸で、確かに不幸のてんこ盛りだった。それでも後味は決して悪くなく、むしろ爽快さすら感じた。角田さんを信じて、観てよかった。

 

長嶋有『三の隣は五号室』(中公文庫)を読んだ。久しぶり。たぶん再再読。柴崎友香の『春の庭』を読んだら、なんだかアパートを舞台にした『三の隣は五号室』を読みたくなったのだ。『三の隣は五号室』の帯(裏)には「アパート小説の金字塔!」とある。そのようなジャンルがあるかどうかはともかく、私はアパート小説が好きだ。ちょっと前に読み返した三浦しをんの『木暮荘物語』はもちろんアパート小説と言えるだろう。舞台になるのは、ぼろアパートが望ましい。

『三の隣は五号室』の舞台となる第一藤岡荘は、最初からぼろアパートではない。それはどのアパートもそうだけれど。新築の第一藤岡荘の五号室に入居した大家の息子・藤岡一平(66〜70年居住)から始まって、13番目の住人・諸木十三(12〜16年居住)までの間にだんだんとぼろくなっていくのだ。

五号室の10番目の住人・十畑保は、引っ越し当日の夜に風邪をひく。

 

音の正体もだが、自分がどこにいるかも把握できず、「新鮮な不安」というようなものを覚えた。いつだって、目覚めれば寝る前の続きであり、みえるのも寝る前と同じ景色なのが道理だ。それをして「日常」と呼ぶ人も多い。「目覚めて異なる(と感じる)景色」は引っ越しをした当座しか感じられないことだが、朦朧としていたためそこまで考えは至らず、不安が混じったのだ。

 

私も今年の春に引っ越しをして、まさに引っ越し当日の夜に風邪をひいた。布団に入って寝ようとしたらなんだか肩のあたりが寒かった。それが悪寒だと気づくのが遅かった。一方、十畑保は「悪寒に襲われ、まずいと考えながら」横になっていた。十畑保は単身赴任でひとり、私は引っ越し当日から10日間ほどひとりだった。ひとりだし近所の美味しい店でも見つけてご飯でも食べようか、などと考えてウキウキしていたのに引っ越して最初に近所で探したのは病院だった。とにかく私が風邪をひいて見慣れない部屋で段ボール箱に囲まれて寝ていた時の不安は、まさに、この「新鮮な不安」だったのだと思った。

一度読んだ本を再読、再再読をすると、その時々で思うこと、考えること、感じることが違っていて面白い。

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