谷崎潤一郎『細雪』上・中・下巻 面白すぎて一気読み

夕食を食べた後、ねじを買いたいと言う夫とホームセンターに行った。夫はビールを飲んだので私が運転。どんなねじなのか聞くと、アイボルトというらしく形を説明されたけれどよくわからなかった。ねじ売り場には色んな形とサイズのねじがズラリと並んでいた。二人で手分けをして探して、見つけたと思ったら欲しいサイズが無い。諦めきれずになおも探してようやく見つけた。1本30円。4本買って帰った。

 

Kindle Oasisを購入して、初めて買ったKindle本は伊坂幸太郎の『ホワイトラビット』(新潮文庫)。他の伊坂作品に何度か登場している黒澤が登場するということもあって読むのを楽しみにしていたのだけれど、『AX』を読んだ時のように夢中になれず、途中で読みかけのエッセイなどに浮気しながら読んだ。ひょっとしていつもの紙の本ではなくKindleで読んでいるから集中できないのだろうかと考えたりもしたが、そうではなかった。

 

「あの小説って、ところどころ、変な感じですよね。急に作者が、『これは作者の特権だから、ここで話を前に戻そう』とか、『ずっとあとに出てくるはずの頁のために、ひとつ断っておかねばならない』とか、妙にしゃしゃり出てきて」
古くからある手法だ、と黒澤は言いかけたが、そもそも『レ・ミゼラブル』が古い小説であるし、わざわざ言うことでもないか、とやめた。

 

私は『レ・ミゼラブル』を読んだことがないのだけど、『ホワイトラビット』では黒澤の言うところの「古くからある手法」を使っている。つまり作者が妙にしゃしゃり出てくるというやつだ。それが私には合わないというか、『ホワイトラビット』に関しては、その手法が使われる度に集中が途切れて、少ししらけた気分になってしまった。伏線を回収しながら結末に向かう終盤は楽しめたのだけれど。

 

なぜKindleで読んだから集中できなかったのではないと言い切れるのかというと、『ホワイトラビット』の後に読んだ谷崎潤一郎の『細雪』は面白すぎて一気読みしてしまったから。

向田邦子の『阿修羅のごとく』、江國香織の『流しのしたの骨』(これは末っ子が弟で四人姉弟だけど)など姉妹を描いた小説が好き(アニメの『若草物語』もポッキー四姉妹のCMも好きだった)で、『細雪』はいつか読みたいと思っていた。思っていたのだけれど、何しろ新潮文庫にしろ角川文庫にしろ上・中・下巻の長編。あれは私が高校生の頃だったか、数ある作品の中から初谷崎として選んだのが『痴人の愛』だったのだけれど、当時の私には面白さがわからなかった。そんなこともあって長編の『細雪』を読み通す自信がなくて尻込みしていた。

しかし、Kindle Unlimitedで『細雪』(角川文庫)上・中・下巻を読めると知り、それなら途中で投げ出すことになってもまあいいかと思って読み始めたら、これが面白いのなんの。ページをめくる手、いやページめくりボタンを押す指が止まらない。9日に読み始めて12日には読み終えてしまった。もっと堅苦しい内容だと思っていたのだけれど、そんなことはなくて、四姉妹(と言っても長女の鶴子はあまり出てこないが)のドタバタを描いた家族小説だった。

三女・雪子、四女・妙子が長女・鶴子よりも次女・幸子をより慕っており、また鶴子の夫・辰雄との折り合いがよくないこともあって、本来なら独身の雪子と妙子は本家の鶴子夫婦のもとで暮らすべきなのだが、分家の幸子夫婦の家で過ごす時間が圧倒的に多い。『細雪』は四姉妹の物語だと思っていたのだけれど、鶴子は蚊帳の外で幸子・雪子・妙子の三姉妹の物語になっている。

 

この行事には、貞之助と悦子とは仕事や学校の方の都合で欠席したことがあるけれども、幸子、雪子、妙子の三姉妹の顔が揃わなかったことは一度もなく、幸子としては、散る花を惜しむと共に、妹たちの娘時代を惜しむ心も加わっていたので、来る年ごとに、口にこそ出さね、少くとも雪子と一緒に花を見るのは、今年が最後ではあるまいかと思い思いした。その心持は雪子も妙子も同様に感じているらしくて、大方の花に対しては幸子ほどに関心を持たない二人だけれども、いつも内々この行事を楽しみにし、もう早くから、———あのお水取りの済むころから、花の咲くのを待ち設け、その時に着て行く羽織や帯や長襦袢の末にまで、それとなく心づもりをしている様子が余所目にも看て取れるのであった。

 

「この行事」というのは、幸子と夫の貞之助、娘の悦子、それに雪子、妙子で揃って京都に花見に行くというもの。

 

彼女と二人の妹たちの間柄は、ちょっと普通の姉妹の観念では律しがたいものであった。彼女はしばしば、貞之助のことや悦子のことよりも、雪子のことや妙子のことを心にかけている時間の方が多いのではないかと思って、自ら驚くことがあったが、正直に云って、この二人の妹は彼女にとって、悦子にも劣らぬ可愛い娘であったと同時に、無二の親友でもあったと云えよう。彼女は今度一人ぼっちになってみて、始めて自分が、友達らしい友達を持っていないこと、———形式的な交際以外には奥様同士の附合いというものを余りしていないこと、———に心づいて、不思議に感じたのであるが、考えてみれば、それは二人の妹がいたためにその必要がなかったからであった。そうして今や、ローゼマリーを失った悦子と同じように、とみに彼女も寂寥を覚えだしたのであった。

 

幸子が雪子や妙子が問題を起こしても(問題を起こすのは主に妙子だけれど)放り出さずに面倒を見続けるのには、根底に二人の妹に対するこうした深い愛情があるから。私が幸子だったら、雪子はともかく妙子のことは放り出してしまうだろう。

『細雪』のストーリーのメインは雪子の見合いがうまくいくかどうかだと言ってしまってもいいのではないかと私は思う。と言うのも私の関心はそこで、次の見合いは上手くいくだろうか、今度こそ上手くいってくれと思いながら読んでいたら、あっという間に読み終えてしまったのだ。

美しい日本語を噛み締めながらもその面白さに一気読みしてしまった。何年後かにまた読み返したい。

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