岩波文庫的?佐藤正午『月の満ち欠け』

久しぶりに朝から晴れた。タオルケットと綿毛布を洗濯してベランダに干す。夕方、そろそろ干していた洗濯物を取り込もうとベランダに出た時、視界の右端、ベランダの隅に何かが落ちているのが見えた。夫が釣具の手入れでもして置き忘れたルアーのように見える。近付いてみると、それはひっくり返ったセミだった。やれやれ。よりによってこんな所で息絶えなくたっていいのに。それは、子供の頃に喜んで捕まえていた透明の羽の大きなセミ、たぶんミンミンゼミだった。しかし、今の私はもう素手で虫を触ることなど到底できやしない。部屋に入ってちょっと厚手のチラシを取って来た。折り畳んでセミをすくい上げようとした、その時、セミがジタバタと脚を動かした。思わずビクッとしてしまった。どうやらひっくり返って起き上がれなくなっていたようだ。ドキドキしながらチラシをそおっとセミの下に差し入れて、セミを起こし、チラシに乗せたまま、えいっと投げ上げるとセミは飛んでいった。やれやれだ。

 

佐藤正午の『月の満ち欠け』(岩波文庫的)を読んだ。

佐藤正午は好きな作家の一人なので、直木賞を受賞しようがしまいが文庫化されればいずれ読むつもりだった。それにしても岩波文庫「的」とは。それについては、文庫に挟んであった作者インタビューに説明があったのだけど、要するに遊び心らしい。考えてみると、私はこれまで岩波文庫を一冊も持っていなかった。読書歴は長い方だと思っているのだけれど。この岩波文庫的を岩波文庫と見做してよいのなら、私の初岩波文庫になる。

文庫の表紙に堂々と書いてあるし、ネタバレにはならないだろうと思うので書くが、ある女性が生まれ変わる。生まれ変わって、七歳になった女の子は、ある男にとっては亡き娘、ある男にとっては亡き妻、そして、ある男にとっては亡き恋人である。

六十過ぎの小山内という男がある母娘に会うためにはやぶさで東京駅にやって来るところから物語は始まる。待ち合わせしていたカフェでコーヒーを注文する小山内に初対面のはずの七歳の女の子が言う。

 

「煎茶とどら焼きのセットにすればいいのに」
娘はすまして意見し、彼の視線を捉えた。
「どら焼き、嫌いじゃないもんね。あたし、見たことあるし、食べてるとこ。一緒に食べたことがあるね、家族三人で」
店員をふくめ、大人たちが息を呑む間があった。

 

これだけでもうこの先どうなるのか気になってそわそわした。まんまとハマったわけだ。しかし、相変わらず佐藤正午の小説に出てくる人物は誰も彼もいけ好かない。佐藤正午の小説は(エッセイも)結構読んでいるけれど、小説の登場人物で感情移入してしまうようなキャラクターや思わず応援したくなるようなキャラクターは、これまでほとんどいなかった。友達にも恋人にも家族にも出来ればなりたくない、そんなキャラばかりで読んでいるうちにイライラすることが多々あるのだけど、それでも読みたくなる魅力があるのが佐藤正午の小説なのだと思う。少なくとも私にとっては。

『月の満ち欠け』でも好きになれそうな登場人物は残念ながら一人もいなかったけれど、とにかく続きが気になってぐいぐい読み進めた。ラスト、正確には小山内にとってのラストが憎い。いやはや面白かった。

 

巻末に「解説はお断りします」というタイトルで伊坂幸太郎の特別寄稿が掲載されている。そこで、伊坂さんは以前、佐藤正午の『アンダーリポート』の解説を書いたとあるのを読んで、そうだったっけ?と思って、本棚から『アンダーリポート』の文庫本を取り出して、確認してみると巻末にはあとがきも解説もなかった。私が持っているのは集英社文庫。伊坂さんの解説が載っているのは、その後に出た小学館文庫らしい。しかも、小学館文庫の方には『アンダーリポート』の後日譚である短編小説『ブルー』が併録されているとか。知らなかった…。

流れで『アンダーリポート』(集英社文庫)を久しぶりに読んでみたら、これまた面白かった。しかし、登場人物はやっぱりみんないけ好かなかった(笑)

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買った本

先ほど「私はこれまで岩波文庫を一冊も持っていなかった」と書いたけれど、岩波文庫的『月の満ち欠け』の後で、正真正銘(?)の岩波文庫を買った。

永井荷風著・磯田光一編『摘録 断腸亭日乗』(岩波文庫)の上下巻。

私は日記を読むのが好きだというのは以前にも書いたことがあるけれど、何か日記をと思って、この『摘録 断腸亭日乗』にたどり着いた。

今は大岡昇平の『成城だより Ⅱ』(中公文庫)をちびちびと読んでいる途中だし、『摘録 断腸亭日乗』を読むのはまだまだ先になりそう。

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