庄野潤三『自分の羽根』自分の前に飛んで来る羽根だけを

天気が良かったので散歩がてらパン屋に行った。お目当ては前回買ってすっかりハマったチャバタ。前回はハムとチーズを買ったので、今回はプレーンを買ってみた。プレーンもやはりもっちもちで美味しかった。チャバタを知れてよかった。

 

昨年のKindle本 夏のセールで購入した庄野潤三『自分の羽根』(講談社文芸文庫)を読んだ。

庄野潤三の本を読むのはこれが初めて。Kindle Oasisをお風呂に持ち込んでちょっとずつ読んだのだけど、読むうちにどんどん庄野潤三いいなあと思って、最後は読み終えてしまうのが嫌だった。

表題作の「自分の羽根」の羽根は、羽根つきの羽根。庄野潤三が、小学五年生の娘と部屋の中で羽根つきをするのだけど、その羽根つきから得たという庄野潤三の文学的感想がすごい。

 

私は自分の経験したことだけを書きたいと思う。徹底的にそうしたいと考える。但し、この経験は直接私がしたことだけを指すのではなくて、人から聞いたことでも、何かで読んだことでも、それが私の生活感情に強くふれ、自分にとって痛切に感じられることは、私の経験の中に含める。
私は作品を書くのにそれ以外の何物にもよることを欲しない。つまり私は自分の前に飛んで来る羽根だけを打ち返したい。私の羽根でないものは、打たない。私にとって何でもないことは、他の人にとって大事であろうと、世間で重要視されることであろうと、私にはどうでもいいことである。人は人、私は私という自覚を常にはっきりと持ちたい。

 

この後にもまだ続くのだけど、娘との羽根つきからこんな文学的感想を得るとは。

 

ここだけを引用すると、お堅い内容の随筆集なのかと思われてしまいそうだけど、そんなことはない。

「息子の好物」という随筆には、母親が突然危篤になったため急いで帰り、意識不明の状態から奇跡的に生命を取戻した後、東京へ戻った庄野潤三が東京駅で目にしたある親子のやり取りについて書いてある。

 

その息子は私と同じくらいの年格好で、会社の帰りに上京して来た母親を駅まで迎えに来たのであろう。このお母さんが一番先に息子に渡したのは、ふろしきに包んだ一升びんであった。
息子がそれを受け取る時の申しわけなさそうに笑う顔を見た時、私は涙が出そうになって目をそらしてしまった。私はもうそんな風にして駅へ自分の母を出迎えにいくことはないのだと思うと、私の母は生命を取戻してこの世にいるというのに悲しみがこみ上げて来た。

 

涙が出そうになるどころか涙が流れ落ちました。この「息子の好物」を私がもっと若い時、そして私の母がまだ若い時に読んでいたら、今の私が読むよりも刺さらなかったと思う。

 

『自分の羽根』が庄野潤三の第一随筆集だそうなので、他の随筆集も読んでみたい。講談社文芸文庫のKindle本セールやらないかなあ。

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