佐藤正午がユニコーンの『服部』を毎朝聴いてから書いた小説

ダイエットのために夕食に米を食べるのをやめていた。そのはずだったのだけど、気付いたら以前と変わらず茶碗によそった炊きたてごはんを頬張っている自分がいた。白いごはんにはおかず、おかずには白いごはん。この最強タッグを引き離すのは難しい。

佐藤正午の『豚を盗む』(光文社文庫)を読んでいたら、先日久しぶりに読み返した『Y』に出てきたエアロスミス効果の話が書いてあった。

『Y』の主人公・秋間の高校の同級生で現在43歳の太田晶子は気持ちを奮い立たせるために毎朝エアロスミスを聴く。

以下『Y』(ハルキ文庫)より。

 

エアロスミスもそれと同じ。アルバム一枚聴き終わると、どうにかこうにか立ち直れる。囲いの中から外へ出て、また蝶々でも追いかけてみようかって気になる。ろくでもない人間の係わったろくでもない事件を記事にするのがあたしの選んだ仕事だしね、人生なかばで投げやりになってちゃ若いときの自分に申し訳ないって気にもなる。そんな気にでもならないとやってられない。朝から四十三歳の女のままじゃとてもやり通せない。まだ冷めきっていない時代の、自分自身のイメージを取り戻さないとね。気分だけでも囲いの外へ飛んじゃわないと。それで毎朝CDを聴いてる。テイク・ミー・トゥー・ジ・アザー・サイド。つまり『向こう側まで運んで』もらってるわけ。そこらへんの薬よりもよっぽど効果がある。秋間くんも試してみるといい

 

一方、『豚を盗む』の「エアロスミス効果」というエッセイの冒頭に次のようにある。

 

長編小説を一つ書くあいだ一枚のCDを聴き続ける。聴きたおす、とか、聴きつぶす、とかいった言葉が(もしあれば)ふさわしいと思えるくらいに聴き続ける。
小説を書いている最中に聴くのではなくて、毎朝、目覚めてベッドを降りるとまずプレイヤーのスイッチをONにしてそのCDをかける。とにかく同じアルバムの一曲目から一日を始める。それから柔軟体操をしたり、リンゴを齧ったり、窓の外の景色を眺めたり、電話に出たり、宅配便が届けばハンコを押したりしたあとで、マグカップにコーヒーを入れて机に向かう。そのころにはアルバムの後半の曲が流れている。

 

前置きが長くなってしまったけれど、私が引用したいのは、この少し先の以下の部分。

 

たとえば、むかし『放蕩記』という小説を書いたときにはシンディー・ローパーのアルバムを聴いた。『彼女について知ることのすべて』という小説を書いたときはバッハで、『取り扱い注意』という小説を書いたときにはユニコーンの『服部』だった。で、エアロスミスは、『Y』という小説を書いているあいだ毎朝聴き続けた。

 

『放蕩記』も『彼女について知ることのすべて』も『Y』も読んだし、文庫を持っている。

最近になって佐藤正午熱が再燃してきたので、未読の小説を読みたいと思っていて『取り扱い注意』が面白そうだと思っていたところだったのだけど、まさかその『取り扱い注意』をユニコーンの『服部』を毎朝聴いてから書いていたとは。

シンディー・ローパーやバッハ、エアロスミスは何となくわかるような気がするけど、佐藤正午がユニコーンの『服部』を毎朝聴いていたというのは意外だった。

中学生のころ、姉の影響でユニコーンにハマった私は、姉が持っていた『服部』を何度も聴いた。まさに聴きたおした。あの頃のように一枚のアルバムを聴きたおすことは今はなくなってしまったような気がする。

佐藤正午が毎朝『服部』を聴いてから書いた小説。ますます『取り扱い注意』を読んでみたくなった。

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