吉田篤弘『ソラシド』まずいコーヒーが飲みたくなる

先週の土曜日にチューリップ賞、翌日には弥生賞が行われた。両レースとも3歳クラシックのトライアルレースである。チューリップ賞、弥生賞といった競馬のレース名は私にとっては季語だ。ああ、もう春なのだなあ。

 

吉田篤弘『ソラシド』(中公文庫)を読んだ。昨年購入してからしばらく積んでいた。本には読みたくなるタイミングというのがあると思う。

 

まずいコーヒーの話でよければ、いくらでも話していられる。

 

『ソラシド』は、こんな書き出しで始まる。コーヒーの話は結構出てくる。でも、コーヒーの話ではない。おれ(ヤマシタ)と妹(オー)が26年前の1986年に活動していた女性デュオ・ソラシドの音楽を探す話。

でも、最初の章にはやたらとまずいコーヒーの話が出てくる。

 

(一九八六年一月某日。五得町J社。午後六時。四階喫茶室の殺人的にまずいコーヒーを飲みながら作業を開始。)

 

(一九八六年。三月某日。深夜。買ったばかりのインスタント・コーヒーがひどくまずい。)

 

()の中は、本文に挿入される26年前のヤマシタの日記。殺人的にまずいコーヒーとはどんな味なのか。逆に飲んでみたい。

ヤマシタと妹のオーは親子ほど年が離れている。オーはヤマシタの父親と再婚相手の子で1986年生まれ。ヤマシタの部屋でオーがたまたま見つけた1986年の雑誌の小さなコラムでソラシドという名前の女性デュオを目にしたのをきっかけにヤマシタとオーはソラシドの音楽を探し始める。

 

わけもなく絶望的な気分だった。わけもなく不安に支配され、目にはいるものすべてが醜悪に映った。携帯電話もない。音楽を携帯して聴く習慣もなかった。ただ、頭の中にはそれまでレコードで聴いてきた雑多な音楽が詰め込まれ、その頭の中のジューク・ボックスにいつも救われた。それはときに冷たい音楽を奏で、思い切り感傷的なところへ引き込んだ。かと思うと、情動を煽ってくる。つまりは、前へ進んでいく勇気をもたらすイキのいい音楽を鳴らしつづけた。
いまもそうだ。
いまでも小さく大きく頭の中や胸のうちに切々と響く。実際に聴くよりも、そうした頭の中の音楽がリフレインされる方が自分の絶望や不安にはずっと効き目があった。

 

1986年の26年後だから、ヤマシタとオーのいる現在は2012年のはずなのだけど、読んでいて頭の中に浮かんでくるイメージ映像はカラーではなくモノクロだった。そういう雰囲気なのだ。読み始めてすぐに私の好きな感じの小説だと思ったけれど、実際そうだった。

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買った本

二階堂幸『雨と君と(3)』(ヤングマガジンコミックス)Kindle版購入。

Amazonの「読み始めたシリーズを続ける」に表示されているのを見て3巻の発売を知った。3巻の表紙がちょうどお風呂に入っているイラストだけど、私は漫画やエッセイをお風呂で読むことが多いのでKindleを使い始めてからはKindle版を購入している。

『雨と君と』は私が今、続きを楽しみにしている漫画のひとつ(連載では読んでいない)。とにかく、た…犬がかわいい。

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