読書傾向の死角

昼ごはんを食べながらBSで2時間サスペンスを観るのが習慣のようになっていたのだけれど、再放送の繰り返しで観たことあるドラマばかりになってしまったので、最近はAmazonプライム・ビデオで『BORDER 警視庁捜査一課殺人犯捜査第4係』を観ている。面白い。なぜ放送時に観なかったのだろう。だって、私は小栗旬のファン…ではなく、金城一紀のファンなのに。金城さんの新しい小説が読みたいなあ。

今さらほむほむ」に書いたけれど穂村弘の『きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』を読んだら、本について書いた本が読みたくなったので、荻原魚雷『書生の処世』(本の雑誌社)を買った。荻原さんが読む本は私の読書傾向とは違ったけれどとても面白く読んだ。それで、同じ荻原さんの著書『本と怠け者』(ちくま文庫)と星野源『そして生活はつづく』(文春文庫)を買った。なぜ星野源なのかは後ほど。

読書傾向が違うので『書生の処世』に私が読んだことのある本はほとんど出てこない。読書歴も読書量も荻原さんに到底及ばない私だが、ある本について書いてあるのを読んで、私の方が荻原さんよりも先輩である点を見つけた。

2013年に書かれた「午前と午後のあいだ」の最後に「ちなみに、わたしの佐藤正午デビューはまだ一ヶ月ちょっとだ。」とあったのだ。

私の佐藤正午デビューがいつだったか定かではないが少なくとも2013年の時点ですでにデビューを果たしていたはず。初めて読んだのは、確かデビュー作の『永遠の1/2』だったと思う。ただ、このブログにも書いたけど、エッセイを集めたのはつい最近のこと。

 

 

『書生の処世』の「午前と午後のあいだ」の冒頭から引用する。

 

まず作家のエッセイを読み、それから小説を読むことが多い。
エッセイを読むさい、わたしは「言圧」を重視している。「言圧」とは、文字通り言葉にふくまれる圧力みたいなものだ。言論弾圧の略ではない。自信満々に書かれた文章は「言圧」が高い。逆に読者の顔色を伺いすぎる文章は「言圧」が低い。
ほどよい「言圧」の文章は、読んでいて心地いいし、あまり疲れない。体調がよくなくて元気がないとき、気持が沈みがちなときでも読める。

 

名前は知っていたけれどきっかけがなくて読んでいなかった佐藤正午のエッセイをキンドルで見つけて、試しに『豚を盗む』を読んだ荻原さんは「長年にわたる不明を恥じる気持になった」と書き、『ありのすさび』を読んで「自分の目は節穴だったのかとさえ思った」と書いている。

 

好き嫌いを理由に読まない作家はいる。いっぽう好きか嫌いかさえわからないまま読まずにいた作家もいる。佐藤正午は後者だった。避けていたわけではない。何かしらの偶然が重なり、読書傾向の死角に入っていたとしかおもえない。

 

読書傾向の死角というのは確かにある。読まず嫌いとはまた別で、本当に死角に入っているそんな作家や作品があるのだ。

星野源の『そして生活はつづく』を買ったのは『書生の処世』に収録されている「本から入る星野源」というタイトルのエッセイを読んだから。私は歌手として、あるいは俳優としての星野源のファンではないので、これから『そして生活はつづく』を読んだらまさに「本から入る星野源」ということになる。

 

星野源はすぐおなかが痛くなる。子供のときのあだ名が「おじいさん」。

 

「本から入る星野源」のこの一文を読んで『そして生活はつづく』を読んでみようと思った。私も子供の頃からおなかが弱く、『ちびまる子ちゃん』の山根くんに親近感を抱いていた。

考えてみたら、星野源は私の読書傾向の死角に入っていた。

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