マーセル・セロー著、村上春樹訳『極北』ハードボイルドなディストピア小説

母がたけのこの煮物を送ってくれた。私の好物だ。「消化に悪いから食べすぎないように」と電話で言われたけど、ぺろりと平らげた後だった。全部食べてしまったとは言えず、「残ったのを筍ごはんにしても美味しいよ」という母の言葉に曖昧な返事をした。母のたけのこの煮物はとても美味しいのだ。

 

マーセル・セロー著、村上春樹訳『極北』(中公文庫)を読んだ。

前にも書いたけれど、ある番組でサバイバル登山家・服部文祥さんが推しボンとして『極北』を紹介するのを観て、いつか読みたいと思っていた。終末世界を描いたディストピア小説であることは知っていたけど、「極限の孤絶」、「酷寒の迷宮」というキーワードに怯んでなかなか読めずにいた。しかし、『残された者 北の極地』というマッツ・ミケルセン主演の過酷なサバイバル映画を観た後、『極北』を読みたい気分になった。

主人公はメイクピースという名の人物。序盤では性別はわからない。たぶん男だろうと思いはじめたところで女であることが明かされる。終末世界で私が思い浮かべるのは『北斗の拳』のあの世界だ。女であるがゆえに見舞われるであろう困難が予想されて読み進めるのに少し気が重くなった。しかし、メイクピースは打ちのめされても生きることを諦めず何度も立ち上がるタフな人間だった。私の好きなディック・フランシスの小説(そういえば『極北』もタイトルが漢字二文字)の主人公のように。

 

自らが幸運であると自覚しないとき、私たちはなんと幸運であることか。

 

何もかもすっかり変わり果ててしまった世界でメイクピースは思う。

 

祖先たちが苦労を重ねて勝ち得た知識を、私たちはずいぶん派手に浪費してきたのだ。泥の中から僅かずつ積み上げられてきた、すべてのものを。植物、金属、石、動物、鳥、そんなものたちの名前。惑星や波の動き。そんなすべてが色褪せて消えていこうとしている。必須のメッセージを、どこかの愚か者がズボンのポケットに入れたまま洗濯して、その言葉がすっかり読み取れなくなってしまったみたいに。

 

とにかく過酷で重苦しくてページをめくるスピードがなかなか上がらなかったが、中盤から終盤にかけての息もつかせぬ展開に今度はページをめくる手が止められず、こうなったら読み終えるまでは眠れないと思って深夜2時まで読み続けて読了した。いやはや面白かった。

 

『極北』を読みたいと思ったもうひとつの理由は村上春樹が訳しているから。訳者あとがきに「これは僕が訳さなくっちゃな」と思ったと書いている。私は、これまでに村上春樹の翻訳だというだけでレイモンド・チャンドラー、レイモンド・カーヴァー、サリンジャー、ティム・オブライエンの小説を読んだ。チャンドラーやサリンジャーの小説の翻訳からは村上春樹っぽさを感じたように覚えているのだけど、『極北』からはそれが感じられなかった。少なくとも私は。乾いた文章で、それがこのハードボイルドなディストピア小説にぴったりと合っていて、とてもよかった。

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