井伏鱒二『太宰治』井伏から見た太宰

6月19日の朝、アレクサから今日が太宰治の誕生日であると教えられた。6日前の6月13日は命日だった。

 

ちょっと前に井伏鱒二『太宰治』(中公文庫)を読んだ。私は太宰治のことも井伏鱒二のことも特に好きというわけではない。というか、どちらの作品もほとんど読んでいないのだ。太宰治は教科書で『走れメロス』を読んだ記憶がある。大学生になって『人間失格』、『斜陽』を読んだ(私は『斜陽』の方を面白く読んだ)。そして、今では小説など全く読まない夫が以前『津軽』の文庫本を持っていたので読もうとしたけれど、これは途中で投げ出してしまった。あとは青空文庫で『女生徒』を読んだ。井伏鱒二の作品はというと、これも教科書で『山椒魚』を読んだ記憶がある。他は読んでいない。

では、なぜ井伏鱒二の『太宰治』を読んだのかというと、《太宰治から「会ってくれなければ自殺する」という手紙を受けとってから、師として友として、親しくつきあってきた井伏鱒二。》という内容紹介に興味を持ったから。そもそも井伏鱒二と太宰治が親しい仲であったということすら知らなかった。

井伏と太宰が親しく、それもかなり親しく付き合っていたことが、この本を読んでわかった。「太宰治の死」にはパビナール中毒にかかった太宰に入院するよう井伏が説得する場面がある。

 

私は太宰に「僕の一生のお願いだから、どうか入院してくれ。命がなくなると、小説が書けなくなるぞ。怖しいことだぞ」と強く云った。すると太宰君は、不意に座を立って隣りの部屋にかくれた。襖の向う側から、しぼり出すような声で啼泣するのがきこえて来た。二人の番頭と私は、息を殺してその声をきいていた。やがて泣き声が止むと、太宰は折りたたんだ毛布を持って現われ、うなだれたまま黙って玄関の方に出て行った。入院することを決心したのである。

 

番頭の説得には応じなかった太宰だが、一生のお願いだと言う井伏の説得に入院を決意したのだ。これにはぐっときた。

 

ふふっと笑えるところも結構あった。例えば「亡友——鎌滝のころ」に太宰が『富嶽百景』の中で井伏が三ツ峠の頂上で放屁をしたと書いたことに対し、井伏は事実無根であると言うのだが、太宰は確かに放屁したと言い返す。

 

太宰は腹を抱える格好で大笑いをした。しかも、わざと敬語をつかって「たしかに、放屁なさいました」と云った。話をユーモラスに加工して見せるために使う敬語である。「たしかに、なさいましたね。いや、一つだけでなくて、二つなさいました。微かになさいました。あのとき、山小屋の髯のじいさんも、くすッと笑いました。」
そういう出まかせを云って、また大笑いをした。「わッは、わッは……」と笑うのである。

 

まるで子供の喧嘩である。

『太宰治』を読んだら、太宰の小説を読んでみようかという気持ちにちょっとだけなった。

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