Go To Eatのチケットを買って来て欲しいと夫に言われて、販売開始日の午前、歩くと汗ばむような暖かい日差しの中を散歩がてらに歩いて、チケットの販売所に行った。のんびりしていたので、もしかしたらもう売り切れてしまったかもと思ったけれど、そんなことはなくて余裕で購入することが出来た。帰りに初めて行くパン屋に寄って、食パンとベーコン塩パンを買った。お昼に食べたベーコン塩パンが美味しくて、また買いたいと思った。
オードリー若林正恭さんの『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(文春文庫)を読んだ。
若林さんの初エッセイ『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』がとても面白かったので、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』の文庫化を楽しみにしていた。今回はKindle版を購入した。
Kindle Oasisをお風呂に持ち込んで少しずつ読んだ。お風呂でのんびりと読むのにちょうどいいだろうと思ったのだ。
しかし、私が想像していたのとは違っていた。
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』は、若林さんがキューバ、モンゴル、アイスランドを旅した時の紀行文が収録されているのだけれど、最初に収録されているキューバの紀行文がなんだがトゲトゲしているように私には感じられて、のんびりするどころかもやっとしてしまった。
「ぼくの感性の中学生の部分はビリビリに痺れていた」、「ぼくの中学生の部分は全開だった」とキューバの紀行文に2度出てくる「中学生の部分」という言葉。モンゴルとアイスランドの紀行文には出てこない、この言葉が、トゲトゲの理由なのかもしれない。
例えば、タイトルにもなっているカバーニャ要塞の野良犬と東京で見る犬を比べる時の表現。
東京で見る、しっかりとリードにつながれた、毛がホワホワの、サングラスとファーで自分をごまかしているようなブスの飼い主に、甘えて尻尾を振っているような犬よりよっぽどかわいく見えた。
東京の犬の飼い主の表現に中学生の部分とやらを感じてしまった。
お風呂でのんびり、のほほんとした気分で読むなら、ほむほむのエッセイが私には最適なのかもしれない。
でも、このもやっとする感じは、『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』の時には感じなかったのだけど。エッセイと紀行文の違いなのだろうか。
素直に楽しむことが出来たのは、「アイスランドの旅はもう3年も前の事なので記憶がかなり曖昧だ」という出だしで始まるアイスランドの紀行文。
記憶が曖昧だからだろうか、それともアイスランドは一人旅ではなくツアーで他のツアー客との交流があったからだろうか、若林さんがあまりイライラしていないのがいい。
文庫には「あとがき コロナ後の東京」が収録されている。