堀江敏幸の『象が踏んでも』(中公文庫)に思わず深く頷いた一文がある。
本のなかに出て来る本が、とても気になる。地の文に挿入された作者名や書名は、時として、すぐれた書評や批評以上にその本の魅力を伝えることがあるのだ。
まさにそのとおりだと思った。書評集を読むのも好きなのだけれど、小説やエッセイの中に何気なく出て来る作者名や書名が気になることがよくある。
例えば、堀江敏幸の『アイロンと朝の詩人』(中公文庫)に収録されている『新宿の西から早稲田の西へ』というエッセイのこんな一文。
その晩、さっそく教えられた場所を再確認して近所の食堂で夕食をすませると、私はおとなしく本を———松本清張の『Dの複合』を———読みはじめたのだが、夜十一時頃だったろうか、どんどんと階段をあがる足音と男女の話し声が同時に響いてきた。
これは、大学受験のために上京した堀江さんが親戚から借りたアパートの一室で過ごす最初の夜の出来事だ。『Dの複合』の内容や感想などは一言も書いていない。だけど、気になる。いや、だから、気になるのかもしれない。
本のなかに出て来て気になるのは本だけではない。
これも堀江さんの本だが、『なずな』(集英社文庫)に出て来るあるお菓子。
それからビスコを二箱買った。この子に食べさせるわけではない。仕事のあいまに自分でつまむのだ。甘すぎず固すぎず、珈琲の付け合わせにちょうどいい。
珈琲を淹れ、ビスコをつまむ。お子さまのすこやかな成長のために、という謳い文句を信じて、少しずつ囓り、珈琲を啜り、また囓る。乳酸菌がたっぷり入ったこのお菓子で栄養補給をしておけば、疲れ切った私の乳酸も消えてくれるだろうか。
私はこれを読んで何年かぶりにビスコを買った。もちろん珈琲と一緒に食べた。そして、それ以来たまにビスコを買うようになった。