4月になればきっと落ち着いているだろう。マスクだって簡単に手に入るはず。そう思っていたのだけれど、全くの見当外れだった。ベランダから満開の桜が見える。しかし、今年は桜を見ても心が浮き立つことはない。例年ならゴールデンウィークに夫か私の実家のどちらかに帰省するのだが、それも早々に諦めた。お盆には帰省できるだろうか。
ただ、私は家にいるのは苦ではない。むしろ嬉しい。ごろんと寝転がってずっと本を読んでいられたら最高だ。
武田百合子の『犬が星見た ロシア旅行』(中公文庫)を読み終えた。
実は二十代の頃に一度読んだことがあるのだけど、その時は面白いと思わなかった。百合子さんも夫の泰淳さんも、泰淳さんの友人の竹内好さんも、ロシア旅行で行動を共にする銭高老人のことも好ましく思えなかったのだ。とにかく皆キャラが濃い。私なら一緒に旅をするのはごめんだ。そう思っていたのだけれど、何度目かの『富士日記』の読み返しをきっかけに未読だった『日日雑記』、『遊覧日記』を読み、さらには『新・東海道五十三次』、『富士日記を読む』を読んだことで、もう一度『犬が星見た』を読んでみようかという気になった。以前は確か単行本を持っていたはずだけれど、手放してしまっていたので新たに文庫本で買い直した。
実際に読んだら、これが面白い。他の本でもそうだけれど、年齢を重ねて改めて読み直すと以前は特に何とも思わなかったような本をこんなに面白かったのかと思うことはよくある。しかし、あんなに苦手だと思っていた銭高老人が何ともチャーミングに思えるのだから不思議だ。
いいなと思ったところを付箋を貼りながら読んだので、そのうちの何か所かを引用してみる。
「百合子。面白いか?嬉しいか?」ビールを飲みながら主人が訊く。
「面白くも嬉しくもまだない。だんだん嬉しくなると思う」と答える。
「御機嫌いかがかね」竹内さんが訪ねてきた。
「あたしの御機嫌はこの通り。でも武田は御機嫌よろしくない。『アルマ・アタにどうして行けないのかなあ』ばっかり、そればっかり言いながら、もうねました。旅行に出る前『古代保存官』ていう本、読み返したりしてたの。よっぽどアルマ・アタに行くのが楽しみだったらしい。見てやって下さい。この、しょんぼりとねてる恰好。カマトトにもみえるけど———何だかカワイソウだ」
私はおかしがって話していたのに、カワイソウと発音したら、どうしたんだろう、急に涙が浮かんでこぼれた。
銭高老人は、二個ついたゆで卵を一個食べて、一個はポケットにしまわれた。そして隣りの人の残したゆで卵も貰って、ポケットにしまわれた。銭高老人は、私にいってきかせる。
「卵が一番栄養じゃ。卵さえ食べとったら安心じゃ。消化はええし、やわらこうて。方々歩きましたがなあ。満州の奥でもどこでも、卵さえ食べとりゃ安心じゃ。ほかのもんは食べ馴れんで心配でも、卵はどこでも同じ。卵さえ食べとったら栄養じゃ」
私も主人の残したゆで卵を手提鞄にしまう。
二人の軍人が食事をしている。ひそひそと言葉を交しながら肯き合っている。美貌だ。皇帝の密使という雰囲気だ。人待ち顔をしている若い男。そこへやってきたのは男だ。やってきた男は席につくなり、食卓の上の若い男の手に手をかぶせて、そのまま話したり、食事の注文をしたりしている。同性愛なんだ、きっと———。まぜてもらえない私は眺めている。
ロシアともお別れだ。皺を気にしながらトランクに入れてきた、あやめが描いてある新調の白い光る服を、私は着る。ロシアにお礼の心をこめて———。
(何となく、消防自動車に乗っている人のようではないか?)着てみてから不安がよぎり、元気がなくなる。廊下に出て歩きはじめると、
「宇宙探検隊みたいだなあ」と、主人がおどろいた風に言う。笑うまいとしている。
「着替えてくる」
「しっかり者に見えていい。百合子はいつもくったりしているから、たまにはこういうのもいい」と、面倒くさそうに言い直した。
もっと読みたかった。もっともっと旅を続けて欲しかった。
買った本
井伏鱒二『太宰治』(中公文庫)購入。
私は井伏鱒二のことも、太宰治のことも特に好きというわけではないのだけど、面白そうだと思ったので買ってみた。決して中公文庫の回し者ではない。