今年は帰省をしなかったので、おせちを食べることもお餅を食べることもなく正月が終わった。いや、お餅くらい自分で買って煮るなり焼くなりして食べればいいのだけれど。そう書いていたら、何だか無性にお餅が食べたくなってきた。
武田泰淳の『目まいのする散歩』(中公文庫)を読んだ。今年の初読み。年末からちびちび読んでいたから年越し本か。
武田百合子にどっぷりハマって、百合子さんも出てくるからと思って、泰淳さんの『新・東海道五十三次』を読んだら、これがまあ面白かった。
それならばと『目まいのする散歩』も読んでみたのだけれど、これまた面白くて、読み始めてすぐに読み終わるのがもったいなくなってしまったので、途中、他の本を読んだりしながらちびちびと読んだ。
冬、夫婦で武道館へ散歩に行き、日光浴をする。
「日光浴はいい気持だなあ。夫婦で陽なたぼっこをしていられるのは、まあまあ運のいいことであるなあ」と厚いセーターや、ごわごわした外套の襟をかき合わせるのが常である。
素敵だなあとしんみりしていると、今度はくすりと笑わせてくれる。
老人夫婦だけが働いているうなぎ屋さんもあった。女房は、その店とはいえない店の中に坐って、八十円のうなぎ丼をたべることが、無上の幸福だった。のみこむようにして瞬間的にたべ終ったあと、まる一日ひと晩は上機嫌でいられた。
これを百合子さんが口述筆記しているというのが、またいい。
最後の「船の散歩」と「安全な散歩?」は、ロシア旅行をした時の百合子さんの日記をもとに書いているので、そのほとんどが百合子さんの『犬が星見た ロシア旅行』で読んだ覚えのある内容ではあったけれど、百合子さんが書いた日記を読んだ泰淳さんの感想を知ることが出来て、それが面白かった。
共同便所で聞いた音響も、タタタタタ(ハイヒールの靴音)、ドーン(ドアーをあける音)、つづいて、バタン、カチャ、シャー、ブーシャー、またもや、バタン、サー、タタタタタ、などなど。私は便所の話など書くつもりはないが、地元の人々の元気のいいのに感心した女房の記録に、感心するからである。
泰淳さんが亡くなった後、『目まいのする散歩』が野間文芸賞を受賞。文庫の巻末に特別付録として収録されている百合子さんの「受賞の言葉」に胸を打たれた。