今年のGWも帰省は諦め家で過ごした。夫はゲーム(FalloutとかいうPS4のゲーム)、私は本を読んで眠くなったら寝て、のんびりだらだらしていたら時間はあっという間に過ぎた。家にいるのは好きだけど、自炊が続くと無性にジャンクなものが食べたくなる。ああ、マックのハンバーガー食べたいなあ。
江國香織『彼女たちの場合は』上・下(集英社文庫)を読んだ。
文庫化を楽しみにしていた小説。アメリカのニューヨークで暮らす日本人の少女・礼那と礼那の家に住む従姉の逸佳。14歳の礼那と17歳の逸佳は、二人きりで旅に出る。「これは家出ではないので心配しないでね」と置き手紙を残して。
たとえ日本でも14歳と17歳の少女が二人で旅に出るなんて、と思うのに異国のアメリカでそれをするなんて。置き手紙には「家出ではない」、「電話もするし、手紙も書きます」とあり、確かに礼那は旅の途中で何度か家に電話をするし、二人はそれぞれ家族に手紙を書いてもいるのだけど、居場所を特定されないように携帯の電源を必要な時以外は切っているし、投函したハガキが家に届く頃にはもう消印にある街にはいない。使うのは親が支払いをするクレジットカードで、泊まるのは高級で清潔なホテル(旅の前半だけだけど)。ふむ、と思いながら読んだ。
礼那は14歳にしては幼い。そして、人を疑うことを知らなさすぎる。案の定そのせいで何度か危ない目に遭う。それでも、読み進めるのが辛くなるほど二人が危険な目に遭うことはないだろうと信じることが出来たのは江國香織の小説だから。主人公の少女たちを痛めつけ、読者をハラハラさせることで物語に惹きつけるつもりはないはずだから(ハラハラしたし、礼那があまりに純真でちょっとイライラもしたけれど)。
この物語の語り手となるのは礼那と逸佳、礼那の母・理生那と父・潤、それと逸佳の父・新太郎。礼那と逸佳の旅は、礼那の両親である理生那と潤の関係に大きな影を落とすことになる。文庫の帯に「著者初のロードノベル」とあるし、少女二人の旅がメインの小説だろうと思って読んだのだけれど、それだけじゃないのはやはり江國さん。理生那と潤の間に元々あったけれど気付かないようにしていたものが礼那の不在をきっかけにじわじわと浮き彫りになっていくのが怖かった。
そういえば、私は江國さんの小説が好きだけど、登場人物に共感したり、好意を持ったことはあまりないような気がする。大好きな『間宮兄弟』でさえも登場人物はみんなそんなに好きじゃないし。
今、江國香織の小説を読んでいるのだなあと感じられる江國さんの文章が私は好きなのだ。
そして、こんなにあかるいのにと思った。こんなにあかるくて、そこらじゅうに日ざしがまぶしいほど散らばっているのに、これが夕方の光で、真昼の光とは全然ちがうと(時計を見なくても)わかるのはどうしてだろうと。
はじめのうちは、いちいちびくっとしていたこの警笛の音も、ここを離れたらなつかしく思いだすのだろう。そう思った逸佳は、まだここにいるのに、その警笛をすでになつかしく感じていることに気づいて戸惑う。ぶおおおん、と夜気にこだましたそれは風にのってたったいまここに届いたのだし、いまにもまたもう一度鳴り響くかもしれないというのに。
『彼女たちの場合は』もきっと読み返したくなる。そう思いながら読み終えた。
買った本
オカヤイヅミ『いいとしを』(角川書店)Kindle版購入。
『ものするひと』、『いのまま』と読んですっかりお気に入りとなったオカヤイヅミさんの漫画。そのオカヤさんの『いいとしを』と『白木蓮はきれいに散らない』の2作品が第26回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。
『いいとしを』のKindle版がセールで半額だったので、これはと思って買った。Kindleを利用するようになって変わったのは以前よりも漫画を買うようになったこと。紙の本だと収納のこととか考えて漫画を買うのはできるだけ控えていたのだけど、電子書籍だと収納を考えなくていいしセールもあるから、つい買ってしまう。
『いいとしを』は主人公が42歳、その父親が72歳。母親が亡くなり、実家で父と一緒に男ふたりで暮らすことにするのだけど、年老いていく父のこととか、自分の将来のこととか色々考えたりしながら過ごす日々を描いていて、この漫画も私の好きな感じでよかった。主人公とその親が自分と親の年齢に近いこともあって、主人公と一緒になって考えたりするところもあったけど、暗い気持ちになるんじゃなくて、やっぱり色々考えちゃうよねと思いながら読んだ。
主人公が実家のバランス釜のお風呂でシャワーを浴びて、そのまま「ハクショ」とくしゃみをしながらワシャシャと風呂掃除をするとか、そういうシーンがあるのが好きで、『ものするひと』を読んだ時にも思ったけれど長嶋有の小説が好きな人は好きなんじゃないかと思った。私がそうだというだけだけど。